キリストを伝える
神はどうして存在すると 言えるか
神でなくとも なんとなく 宇宙のなにがし とか 心の中にいるとか 誰かに守られているようなきがする とか その存在には うすす 感じている人はおおいはずです
私は 空の星 は計算された軌道で回っており
植物を切断し 顕微鏡ののぞけば細胞は 6角形をしている 雪の結晶も6角形である これは だれかが作らないと規則性は生まれないと思うのです。それゆえ それぞれに
神の存在を肯定するひとは おおいはずである
が日本の場合 八百万の神といい石でも木でも何でも神様だったりします聖書にはこの様な石や木などの偶像を拝むものは石や木のように物言わぬ者のようになるといっています
あなたは石や木以下のそんざいでしょうか?石や木にひれ伏している姿を見るとだまされているのではないかと思います。きつね に 頭をさげて 拝むこと も ばかばかしい と 思いませんか?人はそれらのものよりより価値があると思います
又アジア人の多くの人は議論によって 決めようとするかた が多いですが これは 月が あるかどうか を 昼に議論する様なものです 。。。しかしながら 議論の有無 に よらず月は 必ず存在するのです
このように 絶対的な存在神 父なる神 御子イエス 聖霊の三位一体の神 を私たちは対象としています 又思い込みなどではなく 必ず存在すると いう確証が必要です
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日本人の宗教感
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日本で宗教というと 特別な集団を指すことが多いです
しかし 世界では religion は 究極の価値観 だと言うことです
自分は無宗教だと 言う人は 自分を頼りに生きている か もしくは 尊敬する 指導者のような人(新興宗教)
会社であったり 金で あったり 世俗的 な例では 酒 女 薬 などを生きがいにしているのです。
又仏教は哲学で ある意味religionではありません
長い人生で 頼りにしている物 人 が突然信頼できなくなった時
自分の価値感を見直さなければ ならない 時がくるのです
その時ひとは ゆるぎない 真実のものを 求めます 又真実に たどりつけるのは わずかな ひとしかいません 聖書には 狭き門から入れ 滅びにいたる門は入りやすい とかいてあります
真実とは みんなが思っていたところとは違い以外なところにあるものです。
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キリストを信じるとは
ここでは 教義的なことは触れません 簡単にイエスキリストを知らない人のためにせつめいします
神様を信じるとは自分の生活やすべてを イエスにゆだねることになります。
あなたは 神の助けを受け 非常に楽に(少し難しいですがこの楽にという意味は神様から私たちに良いという事を私たちが受け入れるという事でです又文字通り本当に楽ということもありますが)過ごせるようになります 自分の価値観 一番大切な信頼できる対象を 神様に置くことです 最初は難しいですが 聖書を読んでいくうちに 神様がどんな人なのかわかってくると 理解できてきます。
まるっきり ゆだねるという事は 何か洗脳されて都合のいいようにされるのではないかと思ってしまいますが聖書を読んでいくうちに 神の愛と言う物を理解できたら 安心して信頼できるようになります。
聖書とは
私たちクリスチャンは 聖書は神からの啓示を受け書かれた 本と理解します。
ので 聖書の言葉は何より 優先して 生活しています。
聖書には 新約聖書と旧約聖書があり 旧約聖書はキリストが生まれる前 新約聖書では キリストが生まれた後のことが 書いてあります。旧約聖書は律法 新約聖書ではキリストの救い が書いてあります。
イエスをキリストと信じていないユダヤ人たちは 新約聖書を使わずいまだ キリストの降臨を待っています。
聖書の翻訳は 原本ギリシャ語の訳が 正確です 次に英語のキングジェームスバージョンは 99%原本と同じです 日本では 文語訳が一番原本に近いですが 難しいので 口語訳が 良いと 思います。
共同約では プロテスタント とカトリックの共同約です さらに 新改訳 というのもあります 今ほとんどの教会では使われていますが。 新改訳は かなり 内容が 改ざんされており 内容が 原本がら離れて 意味合いが かえられています。教会で何故この様な 聖書を みんなに 勧めるのか 指導者が本当に聖書を 読んでいて理解しているのか を 疑います。
罪とはなんでしょうかsin
罪というと 普通警察に捕まることを指すが 聖書では英語では sin をさす 簡単に言うと 的外れ真実以外すべて 罪なのです。真実は 聖書の中では キリストをさすのです。簡単に言えば キリストの言うような生活をしなければ みんな 罪びとなのです。不倫をしても 大声で喧嘩して人を憎んでも 警察には捕まりませんが
聖書から見れば 罪なのです。 この様に真実でない事 人をうらぎったり 偶像を拝んだりすることは 罪とされています。
キリスト教と教派
>最初に 12使徒ペテロの 上に建てられた教会がカトリック教会です。そのまま 宗教改革の時に出来たのが
ルター派 カルバン派 長老派 バプテスト派 などで 英国国教会は カトリックから 分派しています
これらの派を福音派と言います。 戦前から ペンテコステ派(聖霊の働きを 重要視する)
又福音派の中からペンテコステ派の様な運動を取り入れたグループを カリスマ派という。
今あるキリスト教会はこれに 分類されます。
異端と呼ばれ キリスト教の様ですが 内容が全然違う グループがあります
モルモン教(末日聖徒イエスキリスト教会) エホバの証人 統一教会 などです。
キリスト教から派生した グループも 沢山ありますので注意が必要です。
この様な教会は 真実の神から遠ざけ キリストの救いから 遠ざけてしまいます。
キリスト教の信仰とはどんな事か
信仰=宗教日本的に言えば 畳の上に大勢すわり なんだか 訳のわからない念仏を唱える事のようにおもわれますが 聖書には どう書いているのでしょうか?
以上のように大変イメージを描く事が大切と言う事になる しかし貧乏のどん底にあっては 豊かな生活を送れるように イメージするのは 困難であるしかし主にあって この様な信仰をもつとその様になると 聖書は書いているのです すばらしい事です。
11:1 さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
11:2 昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。
11:3 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。
キリストは何のために来られたか
簡単に言えば あなたの罪をあがなうためです。従って 自分は罪人だとは 思わない人には キリストの救いは関係なくなります。 罪の代償は死であると 聖書にはあります。イエスキリストという方が 私たちの罪を かわりに 背負い あがなって くださったのです。これが イエスキリストが この世に来た 目的です。
教会とはどんなところ
何となくキリストに興味があり 教会と言うところに行きたくなってきます。
ここで いきなり 教会に いくと 失望することになります。何故なら最近は 教会は人の集まりで キリストの集まりとは言えないようなケース が多いです。
何か問題があって 神頼みで来ているような人もあれば おしゃべり したくて
来ているような 人も います 本来 聖書をよく読み みことば を 受け入れてゆけば かわるはずですが だらっと しているのが 教会の現状と思いますので
教会に 期待せず 聖書を読んで キリストのことを よく知ったほうが 益があると思います。 しかし 礼拝 をせよ と聖書にあるように クリスチャンになったなら礼拝に 出席することが 必要です。